小学校の低学年を過ぎても「左右」の概念がなかなか理解できなかった。
自分が子供の頃の定番は「お箸を持つのが右手、お茶碗を持つのが左手」という教え方(覚え方)だった。
自分が左利きであり、箸を左手で持っている時点で、これはすでに混乱を生むものになってしまっている。
おとなになった今となっては「この定番表現は自分にとっては逆」とシンプルに変換して考えればそれでおしまいなのだが、子供の頃はそんな単純には行かなかった。
さて、それでは当時の「みずと少年」はこれをどう解決したのか。
まず頭の中に学校の教室の様子を思い浮かべた。
自分の席に座ると、左手側には廊下、右手側には窓ガラスがあった。
そこから「教室の廊下側が左、窓側が右」と覚えたのだった。
そのため右左を考える時にはいつも、頭の中でいったん学校まで歩いて行き、自分の教室の席に着き、廊下側、窓側を確認してはじめて左右を認識していた。
頭の中だけの話だから、教室までテレポーテーションのように飛んでいって確認すればいい話なのだが、右と左がごちゃ混ぜにならないように、慎重に立ち位置をキープするためには、しっかり歩いていく必要があった。
そうして左右の基準を自分以外の何かに置くことで、ようやく左側、右側がわかるようになった。
ただし、右・左の捉え方はシンプルに「自分基準」で考えていいものなのだと理解するまで、そこからまたしばらく時間がかかったように覚えている。
自分以外の左利きのひとに確かめてみたことはないが、もしかすると同じような苦労をしていた左利きさんは意外と多いのではないかと思ったりもする。
もしかすると、これは右利きさんにはなかなか理解してもらえないことかもしれない。