でっかい水たまり

日記とか、雑記帳とか、独り言とか…

おとなのたべもの 〜好き嫌いの克服〜

お題「自分が大人になったなぁ~!と感じた瞬間の出来事って?」

 

生魚やら野菜やら、いろいろ苦手なものが昔は多かった。

子供の頃はそれがある意味当たり前で、好き嫌いなく何でも食えるというひとの方が少なかったんじゃないだろうか。

 

子供のうちは、家族以外と外で何かを食べる機会は少なく、好き嫌いがあろうが親がうるさく言わない限りどうにかなっていた。

しかし大学生ぐらいになると、だんだん飲み会の席などで、それまでは避けることができた食べものが、嫌でも目の前に並ぶようになってくる。

 

結果的に、そういう場面でそれらを食べることができる自分に出会って「ああ俺も大人になったのだなぁ」と思わせてくれたものがいろいろとあった。

 

まずは生魚。

刺身や寿司など、それまで「食わず嫌い」だった部分ではあるのだが、子供時代は避けて通ってきた。あの食感が苦手だったのだろうと今では思う。

ただ大学生にもなって「生魚が苦手」というのがカッコ悪いという変な見栄もあり、思い切って口に運んだ。

そしたら「なにこれ、うまい!」

酒とともに刺身のうまさを知ったのだった。

 

そしてピーマン。

今でも

「これを『おいしいっ!』という子供は信用できない!!」

というぐらいに、自分がガキの頃はピーマンが苦手だった。

大学生デビューとなる飲み会で、コース料理の中にありがちな「ピーマンの肉詰め」の姿でいよいよピーマンが目の前に。

刺身同様、食えないというのは「子供っぽい」という変な見栄が作用して「えいやっ!」とトライ。

結局そこでピーマンのおいしさを教えられることになった。

 

その後も、好き嫌いを克服するたびに「大人の階段」を昇っているなぁと実感していたりする。

レッツゴーよしまさ

どこかの番組で彼の志村けんのものまねを初めて見た時には、そのクオリティの高さに衝撃を受けた。

本人密着ドキュメンタリーなどで見た記憶のある、落ち着いた素の口調や声を生き写しのように「完コピ」していた。

 

日本テレビで先日放送された「ものまねグランプリ」では、番組収録後に楽屋でくつろぐ志村けんのものまねを。共演者が楽屋あいさつに来る設定だった。

 

ネタのあとの短いトークの場で、共演者役としてネタに参加した磯山さやか、そして審査員のひとりだったコロッケが、本人を思い出して涙ぐんでいた。

その思いに、見ているこっちも思わずもらい泣きしてしまった。

 

本人を知っていれば知っているほど、そのものまねがどれだけ似ていても「似ていない部分」に目が行ってしまって興醒めしてしまいそうだけれど、長年共演したひとやプライベートでの飲み友達までが、興醒めどころか、本人を思い出して涙を流すほどのものまね。

 

レッツゴーよしまさの志村けんのものまね、これはもう芸術の域だと思う。

 

いい動画を見つけた。

よかったらぜひ。


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ピンクの柏餅 〜1日遅れのこどもの日ネタ〜

子供の頃、近所に老舗の小さな和菓子屋さんがあった。

 

老舗といっても高級感あふれるようなお店ではなく、昔はあちこちによくあったはずの、奥に客席もあって売っているお菓子や軽食が食べられるような、昔ながらの町の和菓子屋さん。

 

こどもの日になると、そこで毎年柏餅を買ってもらった。

 

小豆の餡が入った白いのや、草餅バージョン、それに黄色っぽい味噌餡が入ったピンクのやつ。

おそらく見た目で区別がつきやすいようにと食紅で色付けしたピンクのやつは、葉っぱも裏表が逆に巻かれていた。

 

子供ながらに、このピンクの柏餅でしか味わえない、甘じょっぱい味噌餡に妙に惹かれたものだった。

 

その味噌餡の柏餅、さすがにスーパーやコンビニではほとんど見かけないが、ありがたいことに今暮らしている街にも、近所に昔ながらの和菓子屋さんがあり、そこでは店先のガラスケースに今も並んでいる。

 

思い出したらまた食べたくなった。

明日にも買いに行ってみようかな。

 

さんふん、よんふん

時刻や時間の「3分、4分」の読み方のこと。

 

自分にとっては「さんぷん、よんぷん」が当然なのだが、最近「ぷん」ではなく、「さんふん、よんふん」と「ふん」で言うひとが増えてきている気がする。特に若い世代に。

 

ニュース番組で若いアナウンサーがこう言っていたのを聞いた時には「いよいよそこまで来たか」という感じだった。

 

これは「良い、悪い」と判断すべきものとは違う種類の話だとは思うが、聞いていて強い違和感を感じるのは事実。

 

これまで当たり前だと思っていたものがそうではなくなっていく現実というのは、単純に寂しいものだったりするわけで。

これも年寄りの戯言なのだろうか。

クモのくーちゃん

お題「小動物飼ってます。」

 

実のところ「飼っていた」というわけではないのだが、部屋に住み着いていたクモを、ペットのように同居人のように思いながら過ごしていた時期があった。

 

もちろん、いかつい毛むくじゃらのようなヤツではなく、体長5mmほどの可愛らしいヤツだ。

自分の中では「くーちゃん」と呼んでいた。

 

窓際のカーテンがお気に入りだったようで、よくカーテンの上をあっちへこっちへとうろうろしていた。

その姿を見るたびに「お、くーちゃん今日も元気だな!」と安心したものだった。

 

近視のためよく見えないこともあったが、床にくーちゃんらしきものがいた時には、踏みつけないように気をつけた。

ほとんどの場合、それはゴミだったりしたのだが…。

 

くーちゃんとの蜜月は1ヶ月ほど続いただろうか。

いつのまにか、姿を現わさなくなった。

別の部屋へと転居したか、あるいは寿命が来て部屋のどこかで永遠の眠りについてしまったか。

 

ひとりで暮らしていると、こうして思いがけない同居人が現れた時に、変に情がわいてしまったりする。

次に引っ越す時には「ペット可」の物件を見つけて、ニャンコを同居人として迎えたいものだ。

 

dk-miz.hatenablog.com

みぎ?ひだり?

小学校の低学年を過ぎても「左右」の概念がなかなか理解できなかった。

 

自分が子供の頃の定番は「お箸を持つのが右手、お茶碗を持つのが左手」という教え方(覚え方)だった。

自分が左利きであり、箸を左手で持っている時点で、これはすでに混乱を生むものになってしまっている。

 

おとなになった今となっては「この定番表現は自分にとっては逆」とシンプルに変換して考えればそれでおしまいなのだが、子供の頃はそんな単純には行かなかった。

 

さて、それでは当時の「みずと少年」はこれをどう解決したのか。

 

まず頭の中に学校の教室の様子を思い浮かべた。

自分の席に座ると、左手側には廊下、右手側には窓ガラスがあった。

そこから「教室の廊下側が左、窓側が右」と覚えたのだった。

 

そのため右左を考える時にはいつも、頭の中でいったん学校まで歩いて行き、自分の教室の席に着き、廊下側、窓側を確認してはじめて左右を認識していた。

頭の中だけの話だから、教室までテレポーテーションのように飛んでいって確認すればいい話なのだが、右と左がごちゃ混ぜにならないように、慎重に立ち位置をキープするためには、しっかり歩いていく必要があった。

 

そうして左右の基準を自分以外の何かに置くことで、ようやく左側、右側がわかるようになった。

ただし、右・左の捉え方はシンプルに「自分基準」で考えていいものなのだと理解するまで、そこからまたしばらく時間がかかったように覚えている。

 

自分以外の左利きのひとに確かめてみたことはないが、もしかすると同じような苦労をしていた左利きさんは意外と多いのではないかと思ったりもする。

 

もしかすると、これは右利きさんにはなかなか理解してもらえないことかもしれない。